子どもと行く日本100名城の旅①『岡崎城』の番外編『大樹寺』

日本100名城

こんにちは、日本100名城巡りメンバーのきりこです。

隊長 夫

遊び係 子ども

おやつ係 きりこ

今回は『大樹寺』にスポットを当てたいと思います。

正式名称は『成道山松安院大樹寺(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅじ)

浄土宗の寺院で、松平家・徳川家の菩提寺になります。文明七年(1475年)、戦死者供養のため松平親忠(松平氏第四代当主)が開基、勢誉愚底上人を開山として創建されました。

利用案内《宝物(文化財)拝観》

※本堂・境内は無料

拝観料 大人400円

    小中学生 200円

    幼児 無料

拝観時間

10月~3月 9時~16時

(受付15時30分まで)   

4月~9月 9時~16時30分 (受付16時10分まで)

大樹寺から岡崎城を望むビスタライン

岡崎城ー大樹寺を結ぶ標高差を利用した約3kmの直線を「ビスタライン」といいます。

大樹寺の本堂、山門、総門(現在は岡崎市立大樹寺小学校南門)を通して、その真ん中に岡崎城天守を眺望出来るようになっています。

参考: 子どもと行く日本100名城の旅①桜の名所『岡崎城』

徳川三代将軍家光公が、家康公の十七回忌を機に「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、伽藍を配置しました。

大樹寺のみどころ~多宝塔《国指定重要文化財》

天文4年(1535年)、松平七代清康が建立。大樹寺に残る唯一の中世建築物です。

多宝塔とは

仏塔の一形式で、平面が下重方形(四角形)上重円筒形、宝形造(四角錐形)の屋根を有する二層塔婆のこと。

間近で見ると細部様式も彫刻もみごとで、訪れたのが夕刻でもあったことから荘厳な雰囲気に息を飲みました。(松平家代々の墓を拝見した後だったから、余計にかもしれません。)

大樹寺のみどころ~松平八代墓《岡崎市指定文化財》

1615年(元和元年)に家康によって造られた松平家八代の墓。

  1. 親氏(ちかうじ) 生没年不詳
  2. 泰親(やすちか) 生没年不詳
  3. 信光(のぶみつ) 1404~1488
  4. 親忠(ちかただ) 1431~1501
  5. 長親(ながちか) 1473~1544
  6. 信忠(のぶただ) 1486~1531
  7. 清康(きよやす) 1511~1535
  8. 広忠(ひろただ) 1526~1549

大樹寺のみどころ~家康公19才のエピソード

1560年(永禄三年)の桶狭間の戦いで今川義元が敗北した際、今川方で戦っていた松平元康(後の徳川家康)は大樹寺に逃れ、先祖代々の墓前で自害しようとしたところ、住職の登誉天室に「厭離穢土 欣求浄土(えんりえど ごんぐじょうど)」の教えを説かれ思いとどまり、天下泰平の世を築いたという逸話があります。

厭離穢土 欣求浄土とは

浄土宗の教えであり、“穢れた世の中は清浄な世の中に変えなくてはならない”を意味する。

大樹寺のみどころ~鐘楼

寛永18年(1641年)、徳川三代将軍家光が建立。鐘楼の大鐘は九代将軍徳川家重の寄進で、大晦日には除夜の鐘をつく人の行列が出来ます。

大樹寺のみどころ~本堂・宝物殿

本堂には、木造の阿弥陀如来坐像が安直されています。宝物殿は拝観料を払って順に巡るのですが、どことなくひんやりした空気を纏っています。

“大樹寺パンフレット”より

宝物殿には、徳川家康から家茂までの歴代徳川将軍の位牌が安直されています。

一説によると、位牌の高さは各将軍の亡くなったときの身長を表しているそうです。順番に見ていくと、五代将軍綱吉が低身長であったことが見てとれます。

“大樹寺パンフレット”より

また、収蔵庫には国指定重要文化財の冷泉為恭障壁画が、大方丈には家康公の難を救った貫木神(かんぬきじん)が祀られています。

大樹寺アクセス

住所 岡崎市鴨田町字広元5-1

電話番号 0564-21-3917

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