子どもと行く日本100名城の旅②記念すべきスタートの地『広島城』

日本100名城

こんにちは、日本100名城巡りメンバーのきりこです。

隊長 夫

遊び係 子ども

おやつ係 きりこ

元々、夫は日がな一日戦国時代ゲームをやり込むほどの戦国大名好きで、ゲームのオフ会で城のイベントに行ったり、たまにはチビッ子連れで出かけたりしていたわけで…比較的のんびりと城攻めを楽しんでいたのです。

ここ、『広島城』で禁断の書(笑)

『日本100名城公式ガイドブック』スタンプ帳つき を手に入れるまでは。

名古屋城も岐阜城も犬山城も、松本城も何度も行ったことありますよねー!広島行ったときに岡山城も見たけど、スタンプ押してないよ。また行くんかーい!

という妻の心の叫びは届かぬ夫であった。

スタンプ押したいお年頃の子どもと、100名城コンプリートしたい夫に拍車が掛かったのはいうまでもありません…

広島城 広島市中区基町21番1号 

利用案内 

開館時間 3月~11月/9~18時

     (入館は17:30まで)

     12月~2月/9~17時

 (入館は16:30まで)

休館日 年末(12/29~31)

入館料 大人 370円

    シニア(65才以上)180円

    高校生 180円

    中学生以下 無料 

※シニアの方は年齢確認のため公的証明書が必要です。

西国の覇者《毛利輝元》が築いた巨城、広島城(別名:鯉城(りじょう)

広島城は、太田川の三角州で低湿地帯のため、《島普請(しまぶしん)》という工法で築城されました。築城に10年もの月日を要したそうで、それほどこの地が瀬戸内界隈の政治・経済・交通の要としての役割を担っていたということなのでしょう。

島普請とは

低湿地帯の砂地上に城を築くために「千本杭」と呼ばれる木杭を砂地盤に打ち込んだ上に基礎を築く工法。

厳島神社の大鳥居の基礎にも千本杭が使われていると言ったらイメージしやすいかな?

五重五階の望楼型天守

ちょうど訪れたのは浅野氏広島城入城400年のころでしたので、天守閣の入り口には旗がたなびいていました。…ただし、こちらの城は一度、原爆で倒壊し、天守閣は昭和33年(1958)に鉄筋コンクリートで再建され、二の丸の表御門などは平成6年(1994)に復元されものです。

二の丸表御門

徒歩圏内(20分程度)のところに原爆ドームがあります。その凄惨さを見た後だったので、広島城の記憶がうっすらとしかありません。観光ルートの順番として、逆の方が良かったかも。

天守閣は、入母屋造の大きな屋根をもつ二階建ての建物の上に、三階建ての建物が載っている望楼型です。外観に風情がありますね。城巡りをしていくうちに、天守の造りの違いに面白味や時代背景が感じられるようになりました。

見忘れた!みどころ『天守礎石』『石垣の刻印』

イメージ写真 左:礎石 右:刻印のある石垣

原爆ドーム→広島城→後楽園の行程で、広島城を駆け足で見たため、残念ながら見落としたスポットがありました。

  • 《東小天守跡》付近にある『旧天守の礎石』…天守再建工事の時に撤去した旧天守の礎石をそのまま移してある
  • 天守の西側、北側に位置する『刻印がみられる石垣』

イメージ写真は別の城のものですが、きっとこういう面白いものが広島城でも見れたのかぁと思うと、ちょっと悔しい!天守はなくとも、石垣さえあれば良しとまで豪語するきりこです。一体、どんな刻印だったのでしょう、気になるところです。刻印は、隠れミッキー探しみたいで、子どもとも盛り上がれるのでいいですよ。…まぁ、すぐに飽きてしまいますが。

礎石は何で残したままなのか不思議だったけど、お父さんが当時の権勢を示す歴史的価値の高いものだって言ってた。

わたしには、けんけんぱっしたり走り回ったりするのにちょうどいい原っぱしか見えないけどね!

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