【利休忌】と菜の花の和菓子

和菓子

こんにちは、年間100個以上の和菓子を食べるきりこです。

侘び茶を大成させた千利休が亡くなったのは旧暦2月28日(1591年)。それに因んで茶人たちは毎年命日に、利休の遺徳を偲ぶ法要と茶会【利休忌(りきゅうき)】を行います。

千家の菩提寺である大徳寺で、表千家は3月28日、裏千家は3月27日に利休忌を行います。

利休忌は別名【菜の花忌】とも呼ばれます。

これは、菜の花が千利休の愛した花であったこと、また太閤秀吉に自害を命じられて死に臨む時、最後に目にした花であったことから由来しています。

今回はそんな利休に縁のある菜の花をテーマにした和菓子をご紹介したいと思います。

『菜種もち』蓬入り練りもち製 小豆つぶ餡《川口屋》

うわ~、なんて柔らかいの!

ごく普通の蓬もちをイメージして食べただけに、ふわっふわの食感に驚きました。

練りもちは、餅粉に湯を入れて練って作ります。通常の餅のように粘りけはなく、時間がたっても固くなりにくいのが特徴です。

やわらかな春の風に吹かれる菜の花が、一瞬にして頭の中を過りました。菜の花の黄色は明るく暖かな印象ですが、練りもちの柔らかさが儚さを演出していて、利休を偲ぶのに相応しいように思えます。

『菜の花』ういろう製 村雨餡《両口屋是清》

こちらは、一面に咲く菜の花畑の風景を表した一品でしょう。この壮観な光景に思いを馳せながら、利休は自刃したのでしょうか。武士ではない者が切腹を申し渡されること事態、珍しいことですが、利休はその沙汰を静かに受け入れたそうです。そう思うと菜の花の「明」と利休の最後の「暗」、そのコントラストに凄みさえ感じてしまいます。

『菜種きんとん』『菜の花きんとん』

《川口屋》菜種きんとん
《花桔梗》菜の花きんとん

あれっ、同じ写真かな?

そう思われた方もいるでしょう。双子のようなそっくりさんの和菓子、別々の和菓子屋で作られていますが菓名もほぼ一緒です。菜の花を表すのに一番しっくりくる意匠なのでしょう。きんとんの色合いが《花桔梗》の方が若干、淡いですね。

実は皿に盛りつける時に、黄色のきんとんがぽろっと落ちてしまい、慌てて箸で乗せました。和菓子職人さんは毎日こんな繊細な作業をされているのだなぁと、改めて尊敬の念に堪えません。

川口屋のきんとんは中が道明寺なので、甘いものが苦手な方でも召し上がれるかと思います。

菜の花は茎立(くくたち)とも呼ばれ、油を採ったり食用にしたりと古くから重宝されてきました。利休が最後に開いた茶事の花入れには、菜の花が生けられていたそうです。そのため、千家の茶会では、利休忌までは菜の花を飾らないのが慣わしです。

利休の名は、晩年の6年だけ!

17才で茶の湯を学びはじめ、23才で初めての茶会を開いた利休は、堺の商家の生まれ。商人の子どもでしたが、堺が海外とも交流のある都市であり、文化の発信地でもあったことから、教養や品位を身に付けるため茶の湯を学んだそうです。

千利休の本名は田中与四郎といい、茶人として大成する晩年まで、宋易(そうえき)と名乗っていました。秀吉が関白になった記念で禁中(宮中)にて茶会を開く際、町人の身分では参内出来ないため、正親町(おおぎまち)天皇より居士号として与えられたのが利休の名です。この禁中茶会をきっかけに、利休の名は世間に広く知れわたることとなりました。

居士号(こじごう)とは
出家をせず家に居て修行をする仏教者のこと。男子の在家仏教徒のこと。
利休百首

こちらは、利休百首が書かれた扇子です。茶道を少し習っていた時に手に入れたものですが、茶の湯の心得や作法、お点前について和歌の形を借りて伝えてくれています。茶の湯に対してだけでなく、すべての道に通ずるような言葉もちらほらあって…

その道に入れらむと思ふ心こそ我が身ながらの師匠なりけれ

何事においてもその道に入り、自発的に学ぼうとするその心が、その人自身の師匠となる の意。
恐れや不安で一歩踏み出せない気持ちを鼓舞し、行動することで開ける人生を示唆してるように思います。

これなんて赤べこ状態になってしまいますねー。これが一首目なんですから、ほかにも何が書いてあるんだろうと興味津々になります。後半にも、

稽古とは一より習ひ十を知り十より帰るもとのその一

慣れた頃に対する戒めと受け取っておきましょう。

今回紹介した和菓子店舗

《川口屋》

住 所 〒460-0003
愛知県名古屋市中区錦3-13-12

・名古屋市営地下鉄「栄」駅から徒歩約4分
電話052-971-3389
※御菓子の予約は1個からお電話にて承っております。
営業時間9:30~17:30 
休業日日曜日・祝日・第3月曜日

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