こんにちは、日本100名城巡りメンバーのきりこです。
隊長 夫
遊び係 子ども
おやつ係 きりこ
日本全国にある城(城址)のなかには天守閣のあるものないもの、天守どころか広大な原っぱになっているところなど様々です。天守閣ありの城の中でも、歴史的価値の高いものが現存十二天守と呼ばれています。天守閣は城のシンボル的存在、実際のお住まいは本丸(御殿)なのですが、城巡りをするまでは殿様のお住まいは天守閣だと思っていました。…あぁ、無知って恐ろしい。
おそらく子どもの頃に見た「志村けんのバカ殿様」で、殿が天守最上部から城下町を見下ろすシーンに影響されたと思われます。
今回は日本現存十二天守より、北陸唯一の現存十二天守『丸岡城』をご案内したいと思います。
利用案内
開城時間 8:30~17:00
(最終入城 16:30まで)
入城料金
年中無休
大人 450円
小人 150円
天守閣内も撮影可能
日本現存十二天守の一覧、国宝は五城
江戸時代以前に築城され、天守が現存された状態の城は全国で十二城。その中でも国宝とされているのが、太字の松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の五城です(☆は来訪済みの城)。全国で何百とあった城も、江戸時代の一国一城令や明治の廃城令、第二次世界対戦の空襲で今や12城しか残っていません。
- 弘前城(青森県)
- 松本城(長野県)☆スタンプ未
- 丸岡城(福井県)☆
- 犬山城(愛知県)☆スタンプ未
- 彦根城(滋賀県)☆
- 姫路城(兵庫県)☆
- 備中松山城(岡山県)
- 松江城(島根県)
- 丸亀城(香川県)
- 高知城(高知県)
- 松山城(愛媛県)
- 宇和島城(愛媛県)
日本最古の現存天守!?『丸岡城』(別名 霞ヶ城)
丸岡城は戦国時代、織田信長の命で柴田勝家が甥の柴田勝豊に築かせた城。
安土桃山時代の建造とされていた天守は、2019年3月の調査報告により江戸時代の寛永年間(1624年-1644年)、丸岡藩初代藩主の本多成重によって整備された可能性が高いとされています。
丸岡城天守閣の特徴
- 二層三階の望楼型の天守
- 高さ約6.2mの野面積(のづらづみ)の石垣
- 天守の屋根瓦は笏谷石(しゃくだにいし)製
野面積とは自然石を積み上げたもの。時代の変遷で石垣の加工技術も変化していくので、石垣も城を見るときの重要ポイント!
丸岡城のみどころ~城外編
天守の石瓦(笏谷石製)
石瓦を使用した現存天守はここ、丸岡城だけ!強い北風や冬の寒さに瓦が凍結して、屋根が破損することを防ぐためだったと考えられています。先人の知恵ですね。
天守閣の上に乗っている鯱も一時期、石鯱だったことがあります。昭和23年の福井大地震で落下、今は天守登り口の階段脇に置かれています。現在の鯱は築城時と同じ、木芯銅板張りです。
お静慰霊碑
何度積んでも石垣が崩れて築城が進まないため、生活に困窮していた片目のお静が人柱として選ばれ天守閣の中柱に埋められました。…現代では考えられない発想ですが、日本各地にはこうした人柱伝説ってありますよね。子どもは絶句してました。
攻撃の拠点『狭間(さま)』『石落とし』
狭間(さま)とは、堀や櫓、天守の壁面に開けられた小さな穴、または小窓のことをいいます。矢を射るための箱狭間、鉄砲を撃つための丸狭間・しのぎ狭間など様々な形があります。
天守南側の野面積の最上部が、自然石ではなく墓石のような石を使用しているのも注目ポイント!
石落としは、城壁から張り出された空間で天守の最下層にあり、石や鉄砲などで石垣を登ってくる外敵に攻撃を仕掛けていました。
天守閣内から見るとこんな感じ
丸岡城のみどころ~天守内部編
スカート厳禁、急階段
1階から2階に上る階段が65度、2階から3階部分で67度、実際目の前で見るとほぼ直角。何故こんな角度で作ったのか、混雑しない城だからこその遊び心なのか…設計者に尋ねたい気分になります。
大人も子どもも、ロープなしでは降りられません。ただ急勾配すぎて、アトラクション的な要素も…うちの子は怖々ながらも楽しんでいました。
子どもが夢中になるジオラマ、どこにいるかな?
犬2 匹、ニワトリ11羽、忍者3人、くの一2人、おまけに扉が開いているトイレが一ヶ所。探し出すまで動きません(笑)
大人はその間に、ゆっくり資料でもを読みましょう。
『一筆啓上賞』の生みの親、本多重次の略歴
丸岡城アクセス
車の場合
北陸自動車道・丸岡インターチェンジから一般道で約10分
電車の場合
- JR芦原温泉駅からバスで20分(【京福バス】芦原丸岡永平寺線「丸岡城」下車徒歩1分)
- JR福井駅からバスで45分(【京福バス】丸岡線「丸岡城」下車徒歩1分)
※バスは本数が少ないため、予め時刻表をお確かめください。
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