子どもと行く日本100名城の旅⑨遠州支配の拠点『掛川城』

日本100名城

こんにちは、日本100名城巡りメンバーのきりこです。

晴天に恵まれたゴールデンウィーク、久しぶりの日本100名城巡りとして各地の城を訪れました。

隊長 夫

遊び係 子ども

おやつ係 きりこ

4月29日「駿府城」5月4日「篠山城」5月5日「掛川城」と、どうする家康もびっくりなハードスケジュールです。全部日帰りだったので終盤はややグロッキー…。3つとも家康に関わりある城なので「どうする家康」に関連したグッズや御城印が販売されていましたよ。

ちなみに「掛川城」に訪れた5月5日は、浜松まつりの「騎馬武者行列」に【どうする家康】主演の松本潤さんがご参加なさったとか。大変な賑わいだったようですが、そのおかげか(?)掛川城はほどよい混み具合で楽しむことが出来ました。

最初の掛川城は駿河守護大名・今川氏親いまがわうじちかが重臣朝比奈泰煕あさひなやすひろに命じ、現在の掛川城より北東500mほどの所に築かれました(掛川古城)。遠江における今川氏の勢力拡大に伴い掛川古城が手狭になり、永正10年(1513)ごろ「掛川城」は現在の地に築かれます。

桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、永禄11(1568)年義元の子氏真うじざねは武田氏に駿河を追われ掛川城に立て籠りました。翌年(1569)、徳川家康は掛川城を攻め半年に及ぶ攻防の末、開城。

⏫天正18年(1590)、全国平定を達成した豊臣秀吉は、徳川家康を関東へ移すと家康の旧領地に秀吉配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊が入ります。一豊は近代城郭へと大改革をし、掛川城に初めて天守閣をつくりました。

「掛川城」の特徴

  • 望楼型三重天守 二の丸御殿 
  • 東海道掛川宿に隣接した、東西南北の主要道を押さえた城
  • 「竜頭山」と呼ばれる天然の要害に立地
  • 東西勢力境目の城
  • 戦国大名 今川家滅亡の舞台

「掛川城」の歴史を簡単に知ったところで、大手門から「掛川城」散策スタート!

⏫「大手門」から眺める天守閣が美しいとのこと…先を急ぐのでのんびり眺めることもなく通過。「大手門」の裏には歴代城主の名と「大手門礎石根固め石」が展示されていましたよ。

⏬てくてく川沿いを歩いていくと「四足門」へと到着。

四足門をくぐると「太鼓櫓」が見えてきました。⏬工事中なのか、残念ながら裏手に足組がみられます。

掛川市指定建造物【太鼓櫓】たいこやぐら

櫓の中にある大太鼓で時間を知らせていたことから「太鼓櫓」と呼ばれる。昭和30年(1955)、三の丸から荒和布櫓あらめやぐらのあった位置に移築現存している。

本丸跡地周辺では⏬「三日月堀」と

⏬「十露盤そろばん堀」を見ることが出来ます。

みどころ①「霧噴き井戸」

家康は、永禄11年(1568)から12年(1569)に今川氏真が立て籠る掛川城に攻め入りました。その際、井戸から立ち込めた霧が城を包み、家康軍の攻撃から城を守ったという伝説の「霧噴き井戸」。以来、掛川城は「雲霧城」とも呼ばれるようになりました。

⏬「霧噴き井戸」は天守閣の入り口付近にあります。

天守閣内は「掛川城」だけでなく掛川三城についてのパネル展示も充実してましたよ。

貴重な資料「遠江国掛川城地震之節損所之覚図」

⏬糊を使わず藁を発酵させて非繊維質を分解したものを使うため、普通の漆喰に比べ硬く防水性に優れている「土佐漆喰」

  1. 「小舞い組み」檜(3cm)を縦横に組んでしゅろ縄で結わえる。
  2. 「荒壁・土壁」赤土に藁を混ぜて練った壁土を小舞いに塗り込む。この時にしゅろ縄を縦方向に入れて補強する。
  3. 砂摺すなずり横縄張り」砂を入れて粘り気を弱め塗りやすくした壁土を塗る。その後、横方向のひび割れを防ぐため横方向にもしゅろ縄を入れる。
  4. 「大直し」大きな凹凸を修正する。
  5. 「むら直し」表面の細かい凹凸を修正する。
  6. 「中塗り」仕上げのための下地を作る。
  7. 「土佐漆喰塗り」壁の表面に土佐漆喰を塗って金ごてで磨いて仕上げる。

⏫天守閣内にある「石落とし」や「狭間さま

⏫天守閣城壁の「狭間」からは二の丸城郭御殿が見られました。

みどころ②現存する希少な「城郭御殿」【国指定重要文化財】

城郭御殿は、儀式・公式対面などの藩政の中心となる諸役所と城主の公邸が連結した建物です。

【掛川城御殿】

  • 二の丸に建てられた江戸時代後期の建造物
  • 建築様式:書院造り。畳が敷き詰められた多くの部屋が連なり、各部屋は襖で仕切られている。
  • 現存する四御殿のうちのひとつ(他は、川越城本丸御殿・高知城本丸御殿・二条城二の丸御殿)。

⏬「太鼓櫓」の大太鼓は二の丸御殿入ってすぐの広間に展示されています。

⏬城主が家老に用向きの場合「三の間」に家老が通され用件を済まします。用件によっては「二の間」「次の間」に通される場合もあります。

⏬城主と謁見できる身分の高い者だけが通された「次の間」

⏬城主が藩の政治を司った公的な部屋御書院上ごしょいんかみの間(大書院)」

⏬藩の財政や庶務万端を取り行う用人が使用した「御用人部屋」

⏬廊下には掛川の芸術家による竹細工の展示がありました。

御城印は二の丸御殿の入り口にて販売されています。御城印集めを始めた夫が選んだ御城印はこちら⏬歴代城主の家紋が入ったものになります。

私は「藤井王将VS羽生善治九段」の王将戦第1局でお二人にお渡しされたという『掛川茶どら焼き』を購入。

『掛川茶どら焼き』《北辰たちばなや》

  • 1個220円(税込)
  • 賞味期限:製造日より8日間
  • 原材料名:煎茶あん(白餡[白いんげん豆]、砂糖、煎茶粉末)、小麦粉、砂糖、卵、米飴、みりん風調味料、蜂蜜/膨張剤、酸味料
  • 特定原材料等:小麦粉、卵
  • 栄養成分表示:1個75gあたり 183kcal

国産の小麦と「しずおか食セレクション」認定の新鮮卵を使用し、1枚1枚丁寧に手焼きしてふわふわのどら焼き生地に仕上げました。

掛川茶パウダーをふんだんに練り込んだ煎茶あんは、香り爽やか。ほのかにお茶の苦みがするのも餡の甘さを引き立たせていますね。

みどころ③二の丸茶室にて一服~王将戦の余韻に浸る

開館時間 午前9時30分~午後5時まで(入館は午後4時30分まで)※年中無休
お茶(御菓子付)  大人 510円(主菓子) 小中学生 250円(干菓子) ※小中学生でも主菓子希望の場合は、大人料金になります。

歴代の「王将戦」が繰り広げられた二の丸茶室広間。【端午の節句】ということもあり、茶菓子には『柏餅』が用意されていました。

ふっくらした餅になめらかな小豆こし餡。黒文字がついていましたが、切り分けて食べるのは困難と判断し直接パクリ✨かぶりついている様子が見えないように、大きな柏の葉で口元を隠すようにしていただきます。掛川の抹茶はすっきりとした爽やかな苦みがあり、もっちりとした『柏餅』によく合いました。子どもは普段家で飲んでいる抹茶がやや甘めですので、しかめっ面になっていましたよ(笑)

掛軸に書かれた言葉は一華五葉いっけごようを開き 結果自然に成る」と読みます。

一輪の花が五弁の花びらを開き、自ずから立派な実を結ぶこと

禅宗唐土の初祖・達磨大師が説いたもので、心の中に悟りという花が一輪咲けば尊い五つの心智に分かれて花開き、立派に成就することを表したと言い伝えられています。一般的には家業の興隆や子孫繁昌を祝福する語として用いられますので、【端午の節句】にはぴったりな掛軸と云えるでしょう。

おまけ💓「掛川城」周辺スポット巡り

徳川家光が祀られている「龍華院大猷院殿霊廟りゅうげいんたいゆういんおたまや

」を目指してテクテク散歩。道すがら「掛川市ステンドグラス美術館」があったり、

家老などの重臣の居敷地であった「竹の丸(掛川市指定有形文化財)」があったり…時間があれば色々覗きたいところですが先を急ぎます。

小高い丘の上を登ると「龍華院大猷院殿霊廟りゅうげいんたいゆういんおたまや

に到着しました。

「龍華院大猷院殿霊廟」

明暦2年(1656)掛川藩主北条氏重が幕府に願い出て、徳川三代将軍家光(諡号大猷院)の霊牌を祀るために建てたもの。

霊屋は嗣子のない氏重が断絶の打開策として建立したといわれるが、万治元年(1658)10月氏重の死去に伴い、家は断絶、領地は没収となった。

敷地内に家康の側室、第2将軍秀忠の母【西郷の局(於愛の方)】の塚もありました。

「龍華院大猷院殿霊廟」の辺りは元々、掛川古城があった地。今は眼下に小学校があり元気な子供たちの声が聞こえてきますが、歴史的な一面がある場所なので、掛川城に訪れた際には足を運ばれることをおすすめします(…人通りがあまりになかったので)。

掛川城に戻る道すがら、二宮金次郎・尊徳にまつわる「大日本報徳社」

「淡山翁記念報徳図書館」がありましたので印象的な外観のみパシャリ✨

こんな可愛らしい最中を扱っている和菓子屋さんも見つけましたので、またいずれご紹介したいと思います。

「掛川城」利用案内

住所静岡県掛川市掛川1138番地の24
電話番号   0537-22-1146
開館時間
入館料
午前9時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
※現在開館時間を変更しております。詳細はホームページをご覧ください。

天守閣・御殿 大人(高校生以上) 410円 / 小中学生 150円
休園日年中無休
駐車場専用駐車場はございませんので、近隣の有料駐車場をご利用ください。
掛川城公園駐車場
掛川大手門駐車場

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