こんにちは、日本100名城巡りメンバーのきりこです。
名古屋城は木造天守復元問題で揺れていますが、今回の市長選でどうなることでしょうか。
さて、安土城の天主(天守)があったのはわずか3年。今回は、織田信長が天下統一の礎を築いた『安土城』にスポットをあてたいと思います。(安土城址では天守のことを天主と表記しています)
利用案内
拝観時間
8:30~17:00(入場受付16:00まで) ※季節により変動あり。
摠見寺特別拝観 8:30~15:00(実施日のみ)
拝観料
大人700円 小人200円(高校生以下)
天下布武を掲げた織田信長の幻の城
安土城は、琵琶湖湖畔の安土山に天正4年(1576年)から築城し始め天正7年に天主が完成しました。近世城郭の祖とも云われている城です。金箔の瓦や朱色、黒、白、青で彩られた五層六階地下一階の豪華絢爛な天主は、織田信長が天下統一を世に知らしめるシンボル的存在となりました。〔天主の原寸大模型(5・6階部分)は、安土城天主信長の館で見ることが出来ます〕
安土城址の入り口から天主までは登り石段が405段もあり、登れど登れど天主(跡)が見えて来ず、天下人になろうとした織田信長の絶大なる権力者っぷりが窺い知れます。
安土城は観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭である。初めて石垣に天守の上がる城となった。
安土城のみどころ~石垣、大手通、仏足石
天主まで登って戻ってくると40~1時間30分ほど。ちょうど良い運動になります。
大手通
大手通の石段に所々見られる石仏
大手通は幅6m、直線距離180mと、当時の城郭内の道としては異例の造りになっています。それまでの城は、敵の浸入を防ぐために細く曲がりくねった道が定石でした。
この大手通の造りからも、安土城が戦国の世の終わりを告げ、天下泰平の政治を築くための城であったことが見てとれます。
↑こちらは姫路城。細い道、壁には敵の浸入に備えて狭間の穴も空いている。
石造りの大手道の両側には、前田利家邸跡や羽柴秀吉邸跡、徳川家康邸跡などがあり、錚々たる武将達の邸宅が配置されていたことが分かります。
摠見寺仮本堂の大鐘。自由に突くことが出来ます。
摠見寺は信長が建立した寺。嘉永七年に二王門と三重塔以外は焼失したため徳川家康邸跡を仮本堂としています。
仮本堂では不定期に特別拝観を実施していますが、現在はコロナ禍で特別拝観は見合せ中です。訪れた日は特別拝観中でしたが、先を急ぐため本堂の見学はせず大鐘だけ突いて(子どもは大喜び)、天主目指して登りました。
毎年6月2日には信長忌として、こちらで法要を行なっています。
黒金門跡
大手通を抜けて安土城の中枢部への入り口にあたる黒金門の石垣は、それまでの石垣と違い巨大な石を使い組まれています。どうやって、こんな山道を運んだの!?と思うくらいの大きさに唖然とするとともに、当時の信長がいかに権勢をふるっていたかが分かる代物になっています。
仏足石
仏足石(ぶっそくせき)とはお釈迦様の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。二の丸跡付近から発掘されたことから、築城の際に石垣の一部として使われたと考えられています。日本最古の仏足石は奈良県の薬師寺のものですが、安土城の仏足石も室町時代中期の数少ない遺物として大変貴重なものとされています。
二の丸跡地、本丸跡地、天主跡地
二の丸跡地
二の丸跡に信長公の本廟があり、太刀、烏帽子、直垂などの遺愛品が埋葬してあります。
本丸跡地
信長公は天主の最上階を住まいとし、この本丸には天皇を招き入れる《御幸の間》があったとされています。京都御所内の清涼殿と酷似した構造になっていることが、後に判明しています。
天主跡
1.2mおきに整然と並んでいる礎石は地下1階部分のもので、中央部の1つだけが欠けています。実際の天主台はこの2倍の広さがあったと云われています。
天主からは琵琶湖を眺望できる
摠見寺
百々橋口道(南西の入口からの道)から城への通り道に摠見寺はあります。城郭内に堂塔伽藍を備えた寺院があるのは、ここ安土城だけ。創建当時は本堂・拝殿・鎮守社・二王門・三重塔・表門・裏門がありましたが、嘉永7年(1854)に主要な建物が焼失。現存しているのは、二王門(重要文化財)と三重塔(重要文化財)のみとなっています。
アクセス
住所: 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371
電話番号:0748-46-6594
- 名神高速道路:八日市インターより約25分。蒲生スマートインターより約20分。竜王インターより約35分。
- JR琵琶湖線安土駅より徒歩で約20分・タクシーで約7分。
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