こんにちは、きりこです。
今回ご紹介する本は、5月21日に映画公開された『いのちの停車場』の原作です。著者の南 杏子さんは現役医師でありながら、終末期医療を中心とした著作を執筆されています。まだまだ知られていない終末期医療の現状を、作品を通じて広く知らしめる良書といえるでしょう。
1作目の『サイレントブレス』の感想については、在宅医療を考える『サイレントブレス』@読書メーター【映画『いのちの停車場』公開記念】をご覧ください。
さて、3作目の『いのちの停車場』で登場するのは、急遽キャリアチェンジを余儀なくされた60代の医師。自分と同世代(もしくは若い)の職業人生観は想像がつきやすいけど、先の人生をいく60代の主人公が、どのように医師として己の人生に向き合っていくかもみどころの一つでした。
あらすじ
東京の救急救命センターで働いていた、62歳の医師・白石咲和子は、あることの責任をとって退職し、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療の医師になる。これまで「命を助ける」現場で戦ってきた咲和子にとって、「命を送る」現場は戸惑う事ばかり。咲和子はスタッフたちに支えられ、老老介護、半身麻痺のIT社長、6歳の小児癌の少女……様々な現場を経験し、学んでいく。家庭では、老いた父親が骨折の手術で入院し、誤嚥性肺炎、脳梗塞を経て、脳卒中後疼痛という激しい痛みに襲われ、「これ以上生きていたくない」と言うようになる。「積極的安楽死」という父の望みを叶えるべきなのか。咲和子は医師として、娘として、悩む。
7万部突破『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』、連続ドラマ化『ディア・ペイシェント 絆のカルテ』著者最新作。
幻冬舎 書籍詳細『いのちの停車場』より
「命を紡ぐ」在宅医療
今回の連作短編集では、「生きる」選択肢のひとつとして在宅医療を選ぶ人もいれば、積極的な治療を断念して在宅医療に至るひと等、さまざまなケースが描かれています。
「命を助ける」ことに主軸をおく現在の医療現場では、患者さまの希望通り死ぬことは非常に困難です。それに対して終末期在宅医療は患者主体、どういう最期を望むか、どう生きたいかに焦点があたります。その分、「生」や「死」の現実を目の当たりにすることになり、過酷かもしれません。
この作品を読んで良かったなぁと思った一つに、死の事前レクチャー(家族向け)のシーン。「死の兆候」から最期まで、どう「命をおくる」かを知ることが出来たのはとても有意義でした。
涙なしには読めない第5章、こどもの「死」に向き合う
終末期と聞くと、どうしても老人を思い浮かべてしまいますが、こどもの終末期在宅医療だってある…ここで出てくるのは、たった6才の小児がん患者です。胸が張り裂けそうになりながら読み進めました。
「死」を受け入れられない苦しみのプロセスにいる両親と、ひとり非情な現実と向き合う少女「萌」。【一日でも長く命があること】を望む両親と、切実に【生きる】喜びを願う「萌」の架け橋となる在宅医療チームの物語です。ただ命を永らえさせることが、本人はもとより残される家族にとっても最良の選択でない、そんなふうに感じた一編でした。
「萌」がなぜ人魚姫なりたかったか、その理由に涙が止まりませんでした。
「積極的安楽死」の葛藤
今回驚いたのは、「積極的安楽死」を是認しうる六つの要件が存在しうること(第6章「父の決心」より)。
- 患者が不治の病で死期が迫っていること
- 耐えがたい苦痛があること
- もっぱら患者の苦痛を緩和する目的であること
- 本人の真摯な嘱託・承諾があること
- 原則として医師の手によること
- その方法が倫理的に妥当であること
ただ、例え要件を満たしていたとしても、医師として実行出来るかは難しい…本編では、医師であった父から医師である娘へ強く望まれた「積極的安楽死」であるが、どう決断し、どのような結末を迎えたかはぜひ本書をお読みいただきたい。
映画では吉永小百合(白石咲和子 役)さんが、この場面をどう演じたのかも気になるところ。
今までの南 杏子さんの作品はこちら
2作目の『ディア・ペイシェント 絆のカルテ』は長編小説で医療訴訟やモンスタークレーマー等、現代の医療現場が抱える問題に切り込んだ内容でした。こちらについてもいずれ感想を書きたいと思っています。
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