在宅医療を考える『サイレントブレス』@読書メーター【映画『いのちの停車場』公開記念】

おすすめ本

こんにちは、きりこです。

コロナ禍でなかなか映画も観に行けない状況が続きますね。先日、5月21日公開の映画【いのちの停車場】のインタビュー記事を読んでいたら、あっ、この話知ってるという感覚に陥りました。調べてみたら、以前読んだ『サイレントブレス』の著者・南杏子さんの作品で、同じく終末期医療を題材に扱ったものだったのです。

映画【いのちの停車場】も気になるところですが、今回は南杏子さんのデビュー作『サイレントブレス』をおすすめしたいと思います。

『サイレントブレス』は終末期医療ミステリー

あらすじ

大学病院から、在宅で最期を迎える患者専門の訪問クリニックへの“左遷”を命じられた三十七歳の倫子は、慣れない在宅医療にとまどう。けれども、乳癌、筋ジストロフィー、膵臓癌などを患う、様々な患者の死に秘められた切なすぎる謎を通して、人生の最期の日々を穏やかに送れるよう手助けする医療の大切さに気づく。感涙の医療ミステリ。

内容紹介(「BOOK」データベースより)

著者の南杏子さんは、終末期医療専門病院の内科医です。多くの患者さまを看取る傍ら、《人生の最期を大切にするための医療とはなにか》を問いかける本書を上梓しました。『サイレントブレス』とは、“静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉”です。

“終末期のゆれ”だけでなく、介護ネグレクト、相続、遺体保存、密入国等の社会問題にも切り込んでいて、興趣が尽きない内容となっています。重いテーマですが、魅力的な登場人物たちに程よく抜け感があり、面白く読ませる連作短編集です。

どういう最期を望むかは、どう生きたいかを考えること

急性期医療のように「何がなんでも命を救う」という攻めの医療ではない終末期医療。家族の望む治療と本人の願う最期に、齟齬が生まれることも当然あります。

私自身、“延命のためだけの医療”は望まないと今は思っているけれど、いざ目の前に終末期が来た時にその決断をすんなりと下せるかは分かりません。その線引きを、意志を尊重してほしいと残される家族には思いますが、自分自身が家族側だったら苦渋の決断となるやもしれません。

第3話「エンバーミング」では、老衰でいのちの終わりを穏やかに受け入れる本人と、迷走する家族の構図が描かれています。家族間でも意見の相違がある(しかも思惑が隠れている)と、泥沼化しますね…この話で初めて【お食い締め】という考え方に出会いました。口から食べ物を摂取出来なくなれば「胃ろう」にするのは医学的には正解かもしれませんが、患者本人の生き方に沿うかは別問題。

人の幸せのために医療があるならば、患者の思いを尊重するのが本来の医療の姿だろう。そう頭で分かっていても、医師として、命が自然に尽きていくのをじっと見守るだけというのは迷いが大きく、簡単なことではない。

『サイレントブレス』第3話エンバーミング P181

この「エンバーミング」のラストはどうなるかは読んでからのお楽しみ。痛快で見物ですよ。

終末期医療を知ることは、最期まで自分の人生を生ききること

私がこの本を手に取ったのは、父が終末期医療の真っ只中のときでした。20数年ぶりに会った父を一目見て“あぁ、もう出来ることが何もない”と悟り、それでも何か出来ることはないかと思い煩ったものです。一度だけ目を合わすことが叶い、混乱したまま一週間で、二度と会えぬ人となりました。

その時期に出会えた『サイレントブレス』は、私の心に平穏をもたらしました。自分自身が逝く人にも看取るひとにもこの先の人生でなりうるけれども、その時どう在るかのヒントをもらったように思えてなりません。

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